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ありがとう。大好きだよ。 [ひとりごと]

全身性強皮症を発症してから9年。
間質性肺炎を発症してから8年。

長い間ホントによく頑張りましたが、
8月13日深夜、母が亡くなりました。

全身性強皮症からくる間質性肺炎の急性憎悪及び肺胞出血が原因でした。


8月12日夕方
先生から病状説明があると言われ、家族3人で病院に行ってました。
このときも酸素量は上がっていたものの、
母とは普通に会話ができていました。

先生から
「間質性肺炎の急性憎悪。ステロイドパルスを行う」
と説明を受け、
素人目に見ても肺のCT画像は真っ白で、
病状がよくないことは理解できましたが、
まだ一般病棟なのでICUに入るまでは大丈夫だと思っていました。

面会時間を過ぎた21時頃、
「もう遅くなるから帰りな。ありがとね。」 と母に言われて
「うん。わかった。また明日ね。点滴頑張ってね」
そう言って母とハイタッチをした後、笑顔で母に手を振り、
父と妹と私の3人は病院を後にしました。
亡くなる3時間前のことです。

1時間後、自宅最寄駅まで戻ってきていたのですが
先生からの電話を受け、急いでタクシーで病院に戻ったときは
もう母とは会話ができる状態ではありませんでした。

「目は開いていますが意識はないので苦しくはないと思います」
という先生の話。

「でも耳は聞こえるので話しかけてあげてください」
と言われ、家族3人みんなで話しかけたのですが、
母は私達の到着を待っていてくれたのかのように、
私達が到着して10分程で静かに息を引き取りました。

あまりに急なことで、
家族全員信じられない思いでいっぱいだったのですが、
たぶん一番びっくりしているのは母自身だと思います。
8月13日は母の退院予定日だったんです。
退院に向けて、食べたくない食事を頑張って取ったり、
歩けなくなるといけないから、と頑張って歩く練習を
前日までしていたし、
亡くなる3時間前にも「悪いけど明日も誰か来てくれる?」なんて
私達に話していたぐらいですから。

看護師さんから
「みなさんが到着する10分前までは
 ちゃんと会話していらっしゃいました。
 そして、『今までいろいろとありがとうございました』
 と私達にお礼を言ってくださいました」
と聞き、
(最後まで、なんでもきちんとしてるお母さんらしいな)
と思ったのと同時に
(何であのとき病院に留まらなかったんだろう?
 ICUじゃないからまだ大丈夫と思っていたのにこんなに急に悪くなるなんて…。
 誰かそばにいれば話せるうちに話したいことがあったはずなのに…。)
と後悔ばかりが募ります。

最後母が苦しむ時間が長くなかったのがせめてもの救いです。



亡くなる4時間前に行われた先生から母への病状説明。
このとき母は先生に
「人工呼吸器はつけない」と伝え、
「特殊な病気なので、万一のときには自分の体を解剖に使ってほしい」
そう頼んでいました。

没後、母の希望通り、病理解剖が行われました。

最近アイスバケツチャレンジが話題になっていますが、
ALS以外にもいろんな難病があって、治療法確立のために
自分の身をささげた人がいたことを少しでも知ってもらえたら
うれしく思います。

母が受けた臨床試験も、病理解剖も
きっと今後の全身性強皮症や
間質性肺炎の治療法・治療薬開発に役立てられることを、
そしていつかこの病気が難病ではなくなる日が来ることを
私は信じています。






お母さん
きっと先生達が頑張って治療法見つけてくれるからね。
今までホントにありがとう。
いっぱいケンカもしたけれど、大好きだよ、お母さん。




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